〔 受け継がれる想い 〕
今にとどまるよりも
前を向いて挑戦を
前例にとらわれて
現状維持を求めるよりも、
失敗してもいいから
挑戦できる会社でありたい。
小さな一歩を踏み出すこと。
その姿勢こそが、
いくつものターニングポイントを生み出し、
70年以上もの「歴史=未来」を
つくってきました。
日野自動車との出会い
- #創業者 宮本泰三
- #戦後
- #スクラップから部品取り出し
- #日野自動車との出会い
- #中古部品と新品純正品を販売
スクラップの中古部品業者が
大手自動車メーカーと提携するまで
株式会社ミヤモトの前身である宮本商店が創業したのが1952年。創業者の宮本泰三は、戦地から運ばれる米軍のトラックやジープなどのスクラップから部品を取り出して販売する中古部品販売から事業をスタートさせました。当時のトラックは故障するのが日常茶飯事。質の良いアメリカ製の中古部品は人気で、事業は順調に成長していきました。
終戦して間もない時期であり、新車をつくるにもモノが足りない、さらには国を挙げて物流網が整備されていたことも相まって、先代は「トラック業界は日本を支える事業に成長する」と確信。地域の中古部品業者が大手トラックメーカー数社に売り込みをかけるという大胆な勝負に出ました。ほとんどが門前払いでしたが、唯一興味を示してくれたのが近畿日野ディーゼル(現 大阪日野自動車)でした。当時の日野自動車は販売拡大に力を入れ、信頼できる協力会社を求めていたということもあり、中古部品の納入だけでなく、純正部品の販売、さらには新車販売の代理店としても手伝って欲しいと打診してきました。中古部品業者がメーカーの代理店として純正部品を販売する。これは当時はもちろん、現在のトラック業界でも見当たらない異例の契約でした。「考働」を常日頃から大切にしてきた先代の信念が大きな成果を産んだ瞬間でした。
オールインワン・サービスの
基盤を確立
- #日野自動車指定工場
- #大阪自動車産業協同組合
- #いすゞ自動車
- #三菱ふそう
- #UDトラックス
- #オールインワン
誰のために仕事をしているのか?
自分たちの存在意義を問い直して、
生まれた社会貢献への意識
近畿日野ディーゼルとの取引をスタートさせてからは、その働きが認められ、西日本に点在する日野販社から車両仕入れを拡大するとともに、中古部品の納入量も増えていきました。さらには、1971年には大阪日野自動車の指定工場になるなど、販売だけでなくメカニックサービスも請け負うようになり業績は右肩上がりで伸びていきました。
そんなタイミングで訪れた転換点が、他メーカー純正部品の取り扱いです。それまでは宮本商店の成長を支えてくれた日野自動車への恩義から、他メーカーは一切取り扱っていませんでしたが、整備工場などの顧客から「他メーカーの部品を取り扱って欲しい」という要望が多く届くようになりました。悩んだ末に大阪西いすゞ自動車(現 いすゞ自動車近畿)、大阪三菱ふそう自動車販売(現 三菱ふそうトラック・バス 近畿ふそう)、大阪日産ディーゼル(現 UDトラックス)の純正部品の取り扱いを交渉の末に開始。これにより、トラックの新車・中古車販売から整備、リサイクル、部品供給まで、現在のビジネスモデルにも通ずるオールインワン・サービスの基盤が確立しました。同時に「お客様に喜んでいただけ、仕入先様に認めていただける会社づくりで地域社会に貢献する」という現在も使われている企業理念が生まれました。
同業者ネットワークによる取引
- #インターネットによる流通の変化
- #現社長就任
- #トラックサミット協議会
- #日本トラックリファインーパーツ協会
トラック業界が一枚岩になって
時代の変化に対応しなければ未来はない
日本の景気が勢いを失う中で、物流サービスの発展とともにトラック業界は伸び続けていきました。業績を順調に伸ばしてきた宮本商店は1997年に株式会社ミヤモトに改称、2002年には現社長の宮本眞希が就任。5カ年計画として発表し、「組織づくり・ネットワークづくり・メカニック強化」「お客様のワンストップサービス強化宣言」など、これまで何となくやってきたことを明文化し、会社が目指す方向の共有を図りました。
また、この頃からインターネットオークション取引が増え、トラック業界以外からの参入が目立ち始めます。これによって、お客様が流れ始めるという現象が起き始めます。トラックサミット協議会(全国中古トラック販売業者)、日本トラックリファインーパーツ協会(全国中古部品販売業者)に2005年に参入したミヤモトは、品揃えが悪ければ販売機会の損失になる、それどころか、お客様の期待に応えられないことがますます業界を厳しくするという危機感を抱き「業界関係者でネットワークをつくる」という案に賛同し、仕組みづくりに奔走。在庫状況情報を競合に開示することはミヤモトの損失になるのではないかという社内の反対意見を押し切って推進していきました。この取り組みは現在も継続されていることから一定の成功を収めましたが、それ以上にそれまでライバルであった競合他社が手を取り合い、盛り上げたことで深い絆が生まれたことが大きな収穫となりました。
「リトル、イノベーション。」
という決意表明
- #売上50億計画失敗
- #目覚ましいトラックの進歩
- #電気自動車
- #自動運転
- #ターニングポイントになるかは私たち次第
業界の大きな変化は、
すぐそこまできている。
チャンスと捉えるか、危機を招くかは
自分たち次第
2012年に「創業70周年(2022年)売上50億計画」を発表したものの、未達に終わります。これまで業界の成長に助けられ、現状にあぐらをかいていた現実に改めて気づかされた格好でした。今後は電気自動車や自動運転などのトラック・テクノロジーはさらに目覚ましく進歩していくことが予想され、準備をしていかないと成長どころか、時代の流れに取り残されていくことは必至です。
様々な変化に柔軟に対応していくことを考えた時、事業活動の起点になるのは「お客様に喜んでいただけ、仕入先様に認めていただける会社づくりで地域社会に貢献する」という企業理念です。その実現のために必要なのが、創業者が大切にしてきた「考働」であり、ミヤモトが培ってきた強みである「挑戦するマインド」といえるでしょう。
70周年を迎えた今、私たちは変わることを恐れずに、前に一歩を踏み出さなければならないと考えています。そして、どんな小さなことでも変化を起こしていこうという思いから「リトル、イノベーション。」というスローガンを策定しました。この決意表明がこれからの私たちの歩みにおいてターニングポイントになるかは、まさに私たち次第です。